ウランガラス

ウランガラスとは

ウランガラスとは、着色料として微量のウランを混ぜたガラスのことです。

色は黄色や緑のものが多く、暗闇でもブラックライトを照射すると妖しく緑色に光るのが最大の特徴です。
ウランガラスの蛍光は、可視光ではなく紫外線によって発揮されるので、太陽光でも発揮します。(紫外線量とウランガラスのウラン含有量による。)
ブラックライトは、紫外線を出すのでより蛍光が強調されます。

ウランガラス

蛍光が出る仕組みは、紫外線のエネルギーにより、ウランの原子核の周りを回る電子が、より高いエネルギー位置にはじき出されます
その高い位置から元に戻る際に放出されるエネルギーが、緑色の蛍光になります

※2016年1月9日、骨董ジャンボリー特別展「魅惑の光:ウランガラス」
苫米地 顕(とまべち けん)博士トークショー「ウランガラスの歴史と鑑賞」より

最古のウランガラスは

発見されているウランガラスのうち最古のものは、ナポリ近郊で発掘されたローマ時代(紀元前79年)のモザイクガラスがあります。
青い空に白い鳩が描かれており、タイルの釉薬としてウランが使用されています
これは偶然の産物だったようです
残念ながら最古のウランガラスであるモザイクガラスは現在行方不明となっています

モザイクガラス

英国オックスフォード大学のギュンター教授が、ウランが着色剤として使用されていることを報告したモザイクガラス
※イメージ図

ANTIQUE NON-ROMAN GLASS MOSAIC IN ITALYにて、英語の論文とモザイクガラスを見れます

ウランガラスの製造

ウランガラスとして製造されるのは1830年代になります。
制作年号(1840年)を持つミルクピッチャーが残されています。
1830年代にボヘミア(現在のチェコ)のガラス工芸家フランツ・リーデル氏が、ガラスにウランを着色剤として使用して娘の名前を取って、『アンナゲルブ(アンナの黄色)、アンナグリュン(アンナの緑)』と名づけられました。

ウランガラスは置物、食器、日用品、アクセサリーなどが製造されました。日本では、大正から昭和にかけて、醤油さし、置き時計のフレームなどが製造されました。
芸術品としては、1836年英国でウランガラスの蝋燭台が作られ女王に献上されたり、ロシア皇帝に愛されたゴブレットのセットなどもあり、エミール・ガレも花瓶などを制作しています。
意外な物では、鉄道車両で用いられた前照燈、英国製の自動車のヘッドライト、真空管などがあります。

1840年ウランガラス

現在確認されている最も古い刻印があるウランガラスのミルクピッチャー
上部の銀の蓋に「1840年」の刻印がある

ウランガラス同好会・会長であり、妖精の森ガラス美術館の名誉館長の
苫米地 顕(とまべち けん)博士の個人所有品

現在は、妖精の森ガラス美術館に寄贈され、同美術館に展示されています

※写真は2016年1月9日、骨董ジャンボリー特別展「魅惑の光:ウランガラス」
苫米地 顕(とまべち けん)博士トークショー「ウランガラスの歴史と鑑賞」より

ウランガラスの製造中止と再開

第二次世界大戦でウランが軍事利用可能ということがわかり、アメリカで非軍事目的へのウランの使用を制限する政府の命令が発令されました
イギリスなどでも同様の動きがあり、いきなり製造中止になりました

1960年代になるとウランの使用の規制が緩み、ウランガラスの製造が少量であるが再開されました
チェコ、アメリカで製造が復活され、日本では岡山県鏡野町上齋原で、人形峠産のウランを使って純国産のウランガラスが作られるようになりました。

岡山県鏡野町上齋原にウランガラスを常設展示する美術館『妖精の森ガラス美術館』があり、上記の最古のガラスピッチャーやエミール・ガレの作品を実際に見ることができます。
2階企画展示室では年2回、美術や工芸、特にガラスの歴史や現在を紹介する小企画展を開催しており、アートショップでは、アクセサリーなども販売されています。

余談ではありますが、第二次世界大戦(1940年代)から1960年代までの間にウランガラスはひっそりと製造されています
これはガラス職人が手元に残った微量のウランの処理に困り、ガラスの着色剤として使用したためと思われます

参考資料

ウランガラス同好会HP:http://uranglass.gooside.com/
2016年1月9日、骨董ジャンボリー特別展「魅惑の光:ウランガラス」
苫米地 顕(とまべち けん)博士トークショー「ウランガラスの歴史と鑑賞」
岩波ブックセンター「ウランガラス」苫米地顕・著
北辰堂「骨董ファン Vo.14」
里文出版「日本のウランガラス」 大森 潤之助・著

-ウランガラス
-

© 2024 antique-note